2014年11月29日

「和紙:日本の手漉和紙技術」ユネスコ無形文化遺産登録

このほど「和紙:日本の手漉和紙技術」がユネスコの無形文化遺産に登録されました

日本全国にひろがる和紙の産地の中でも、
島根県の石州半紙・岐阜県の本美濃紙・埼玉、山梨両県の細川紙
3つの代表的な和紙産地の製造方法や環境・文化が認められました

素晴らしいことですね!

「原料に「楮(こうぞ)」のみを用いる等、
伝統的な製法による手漉和紙の製作技術を、
伝統的工芸技術として提案」された、ということです


おめでとうございます!

同じ産業で働く私たちにとっても大きな励みになりました

わし.JPG




そこで、高知県内の方々、それ以外の方からもよく聞かれることは・・・

「なぜ土佐和紙は選ばれなかったのですかね?」ということ

これはたぶん「土佐」だけでなく伝統ある「越前和紙」をはじめとする
日本中の和紙の産地の方々、その周辺の方が「???」と思っている点だと思います


そこで私なりにさまざまな方々にお話を伺ったり、調べたところ、
大きな違いは和紙の製造にかかわる環境・コミュニティの成り立ちではないかな?
特に組織的な事業継承のしくみができていることが大きな決め手になったようです


原料生産から和紙製造にいたるまで
多くの住民が関わっていることや

技術の継承に家族間、保持団体、地方自治体の3者が関わっていること

和紙作りに直接・あるいは間接的にかかわるコミュニティが形成されていて
社会的な結びつきがはぐくまれていること・・・など



確かに土佐和紙の産地は、主に仁淀川をはさむ、
いの町・土佐市ですが、ほとんどの人が和紙作りに関わっているか、
また和紙を使う文化を継承する働きが継続的に行われているか、
というと、???というのが率直な感想です



明治時代にはじめて産業統計分類で「和紙」という言葉が出て来たと聞いています

文明開化で登場した西洋の「洋紙」に対して、
伝統的な日本の紙を「和紙」と名付けるまでは、
日本では「和紙」が一般的な「紙」だったのです


そして流通の発達していなかった中世期においては、
およそ日本中のあらゆる町や村=消費される生活圏の
ごく近い場所で和紙=紙が作られていました

日本全国に和紙の産地があったのですね!



「洋紙」の台頭で一時は大きく衰退した「和紙」


日本中にあった産地の中でも比較的特色のある紙を持つ産地や
改良・機械化のすすんだ産地、大消費地に近い産地などが
残っていったと考えられています




「土佐」も今回登録された産地と同様に1000年ほど昔から
紙漉きが盛んであったことが、「延喜式」に記されています

中でも「土佐」は和紙の主な原料である「楮(こうぞ)」の大生産地でした
(1980年代には日本一の生産量だったということです)



そして大きな改革・改良が進み、
一時は謄写紙=コッピ―紙をドイツなどに輸出する大産地として
機械化が進んだ土佐=高知県の和紙産業



私たちの製造工程も日本固有の「流し漉き」という技術を
連続的に可能にした機械抄きの製法で、和紙を漉いています


もちろん楮100%の紙や「三椏(みつまた)」「雁皮(がんぴ)」を使った紙も、機械で製造が可能です

原料も「楮(こうぞ)」以外のものを時代にあわせて使い分け、
破れにくい紙や熱融着できる紙、薄い紙、貼り合わせ紙、
フィルムと合わせたり「洋紙」に貼ったり、印刷したり、さまざまニーズに対応しています


昔ながらの原料や製造法だけにこだわらずに
どんどん革新的な製品や製法を作り出していった・・・

先取りの気風が強い高知県ならではの「進化」のように思われます



これからの世の中、生活に「和紙」はどのように貢献できるでしょうか?
いや貢献できないと和紙はただの工芸品・美術品になってしまいます

生活の中で使っていただけてこそ「紙の本領」です

世界中の生活のなかに日本で作られた紙がある・・・

それを目指して頑張りましょう


土佐和紙の商品については土佐和紙のLadyRisaへお問い合わせください











posted by オーナロ at 17:31| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 土佐和紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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